島津製作所・田中耕一さんのノーベル化学賞受賞,おめでとうございます。
同じ分析業界に身を置く者として,たいへん勇気づけられました。しかも同じ京都の中から生まれた世界的栄誉に,市民としても晴れがましく思います。
田中さんの受賞業績は 「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」ということです。具体的には MALDI-TOFMS のうちの
MALDI (Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)の手法を開発された業績に対する評価だと思います。
田中さんらの発明に基づいて島津製作所( www.shimadzu.co.jp )は,1988年に世界初の, MALDI-TOFMS
装置を発表しました。現在では後発の海外メーカーも含め数社がこの装置を販売しています。おもに生命科学分野でこの装置は将来爆発的に普及していくと想像されます。
MALDI-TOFMSは日本語では,「マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析装置」と表記されています。筆者は初めてこの言葉に接したとき,「飛行時間」という言葉の印象が「飛行機」を連想させ,たいへん違和感がありました。「いったい何が飛行なのか?」ということです。
田中さんが開発されたMALDIは,レーザーを照射して物質をイオン化するときの技術です。一方,イオン化された物質は,小さいものほど早く移動し,大きな分子イオンは遅く移動する,という原理がTOFです。TOFの装置内には長い空間があり,分子イオンがそこを飛んでいくことから「飛行」,その時間差が分子量測定につながることから,「飛行時間型(Time
of Flight)」という名称が生まれたのだと思います。
たんぱく質や多糖類などの生体高分子は分子量が数万から数百万と大きいため,従来の2000程度が限界のイオン化法では分子量測定が困難でした。田中さんのMALDI法は,このような巨大分子を壊さないでソフトにイオン化できるように,補助剤やレーザー照射方法などが工夫され,大きな分子量も測定できるようになったところが革新的な技術と考えられます。従来高分子の分子量は,サイズ排除(SEC)や電気泳動などのクロマトグラフィーに頼ってきましたが,正確な測定は困難でした。したがってMALDI手法によってたんぱく質など高分子の分子量を精密に測定できることは,生化学分野にとっては画期的な成果だと思います。
クロマトグラフィーの分野からすればMALDI-TOFMSは,SECや電気泳動のようなクロマトグラフィー手法を超える測定精度であり,残念ながら今後の分子量測定におけるクロマトグラフィーの役割は小さくなるのかもしれません。
しかし,どんなに精密な分析ができても,測定対象物に不純物が多いと,その精度は低下してしまいます。したがって,MALDI-TOFMSによる測定のためには,やはり物質精製が重要になります。そこには依然,電気泳動やLCが関係するわけです。したがって今回のノーベル化学賞の成果と今後の展開において,クロマト技術はおおいに関係すると考えられます。
いまのところLCがオンライン接続されているような,LC-MALDI-TOFMSというのは見あたりませんが,LCで分取したフラクションを速やかにMALDIに適用するような連結装置は開発されつつあります。いずれはオンライン化されるような技術開発がなされるかもしれません。
HPLCは今では当たり前の技術になっていますが,物質分離に関するこの基本的技術は,いつの時代にも必要なものとして継承されていくと期待されます。
田中さんの受賞は,日本の民間企業が,それも「縁の下の力持ち」という分析支援ビジネスそのものが評価されたわけで,華々しい基礎研究分野での受賞歴からしても,画期的な判断であったと考えます。明治時代初期の殖産興業の流れの中で,いち早く海外の技術が入り,島津製作所のような科学企業が誕生した京都においては,今でも技術志向型の多くの企業や職人がその伝統を継承すべく活躍しています。
同じ業界人でもあり,元同じフロアで仕事をさせていただいた者として,そして同じ京都に拠点を置く当社にとっても,たいへん刺激的な出来事であり,勇気づけられる受賞でした。
田中さんの技術のさらなるご発展を期待いたします。
(矢澤 到)