カラムのコラム (Columns for Columns)

 

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こんな絵描きが京都にいた -- 若冲 --

2005/03/16

 

 
伊藤若冲 ( いとうじゃくちゅう,1716-1800 ) という絵師をご存じでしょうか。
江戸時代,京都・錦小路の青物(野菜)問屋の主人という経済的に恵まれた地位を投げうって,85歳で亡くなるまで絵師として独特の画風により描き続けた奇才です。

近年,「若冲」ブームが起きています。テレビCMや飲料製品ラベルに取り上げられていることからもその人気のほどがうかがえます。現在インターネットで「若冲」を検索すると100万件ヒットしますが,これは相当な数だと思います。

ブームの発端は,2000年,京都国立博物館において開催された,没後200年・若冲展「こんな絵描きが京都にいた」です。1ヶ月で9万人の来館者があったそうです。地元に住む筆者も,博物館らしからぬ副題に興味を抱き,大混雑の中見学しました。京都博物館としては昭和2年 (1927)の特別展観・若冲画選 (恩賜京都博物館)以来,実に73年ぶりの大がかりな特別展だったそうです。
数々の絵に魅せられて,筆者も「若冲」びいきになり,作品に触れる機会が増えました。

昨年(2004年)秋,「こんぴらさん」の愛称で親しまれる香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)で,33年ぶりの「平成の大遷座」の記念事業として,若冲の「花丸図」などを含む「奥書院特別公開」が開催されました。123年ぶりに公開された奥書院の若冲の障壁画やふすま絵に描かれた200種類にもおよぶ繊細で色とりどりの花々の絵が,緻密な観察とおびただしいスケッチの上に制作されたものであることを知り,感動を覚えました。これらの絵は2000年の京都博物館・特別展にも出展されなかった金刀比羅宮秘蔵の宝物です。

そしてちょうど今,京都国立博物館で再度,ミニ若冲展が開催されています。

特集陳列 「伊藤若冲」
開催日:2005年2月16日 - 3月27日
京都国立博物館 (京都市東山区)
http://www.kyohaku.go.jp/

2000年の特別展以降に発見された「石峰寺図」はとても現代風のアートです。
若冲が,親しい相国寺の大典和尚とともに大阪まで淀川下りをした思い出の「拓版乗興舟画巻」は,民家の縁側に使われてすり減った版木とともに展示されています。普通の版画では出せないコントラストと,くっきりとした輪郭が印象的です。
鶏を真正面から描いた毛筆作品が数点。とてもユーモラスです。
筆者にとっての発見は,「百犬図」が若冲の没年(1800年)に描かれた作品ということです。とても85歳最晩年の作品とは思えない,細かな筆遣いと色彩,そして子犬の愛らしい表情の中に,なにか最後の力を振り絞って描き上げたような迫力を感じました。


過去見た若冲作品で印象的なものをいくつか挙げました。

■動植綵絵(30幅) (宮内庁三の丸尚蔵館)
若冲がお世話になった大典和尚の京都・相国寺に奉納し,現在は宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵されていますが,おそらくこれらが若冲人気を生んだ最高傑作群だと思います。どのようにして情報を仕入れたのかと思うほどたくさんの動物や植物を,30幅の掛け軸に配置しています。200年経った今でも色あせない鮮やかさと精緻な筆使いで,情熱を傾け続けたことがよく伝わる作品群です。
2007年,若冲ゆかりの相国寺において,所蔵の「釈迦三尊図」 と,本来これを取り巻くために献上された「動植綵絵」が久しぶりに一堂に会す,注目の展覧会が企画されているそうです。

■樹花鳥獣図屏風 (静岡県立美術館)
「枡目描(ますめがき)」とよばれる四角い点をモザイクのように数万並べた,縦1.3m横3.5mの大きな南国風景屏風です。象や虎,孔雀,鳳凰などの鳥獣を,点だけで描きあげており,素材だけでなく技法そのものも当時としては斬新であったと思われます。ちょうど解像度の低い旧世代の液晶ディスプレイを見るような印象があります。すべて点だけで巨大な屏風に書き込む勇気と根気に驚嘆するばかりです。

■旭日雄鶏図 (エツコ・ジョウ・プライスコレクション,ロサンゼルス・カウンティ美術館)
戦後,国内において若冲が注目されていなかった時代に,あるきっかけから若冲に魅せられたジョウ・プライスさんが収集したコレクションのひとつです。松の枝で雄壮にときの声をあげる鶏は,若冲十八番の素材でもあります。そして左上方には取って付けたかのような大きな日の丸(旭日)。この深紅の丸が,記憶に残る鮮烈な印象を与えています。

■果蔬涅槃図 (京都国立博物館)
涅槃図は元来,釈迦の入滅の悲しみを描いた仏教画であり,多くの寺院で見かけるものですが,野菜を擬人化した作品は若冲をおいて他に存在しないのではないでしょうか。横たわるお釈迦様は「大根」。悲しみの中で取り巻く茄子やカボチャなど数多くの「野菜の弟子」たち。大好きな野菜と親しい仏教を結びつけたユニークなアイデアと人柄があらわれたほほえましさ,若冲墨絵の代表作のひとつではないかと思います。


筆者にとって若冲の魅力とは,題材に関するユニークなアイデア,空間配置を無視したかのようなダイナミックな構図,精緻で色鮮やかな塗り,そして絵にあふれる若冲のユーモアと優しさに満ちた人柄,です。


これらの魅力を生み出している背景には,やはり優れた「技術」がありました。

京都博物館の研究者で,2000年特別展示の企画者,現在の若冲ブームの火付け役でもある,高名な狩野博幸さんの講演( 「メジャーになった伊藤若冲」,20041.11.6,アートキューブレクチャー,京都勧業館 )を聞きました。そして若冲技術の秘密を知りました。

■色彩が鮮やかな理由
経済的に裕福な若冲は絵を売って生計を立てる必要がないので,高価な画材を使用できたようです。超高級品の絵の具に変色の少ない高級絹地。後生に残すことを意識し,耐久性の高い素材を使用したことが,200年経ったいま我々が感動できる成功の要因です。この他,高価な金泥の上に白絵の具をのせて鸚鵡や鶏の鮮やかな白を出していること,漆を用いて鳥や魚の目を描いていることなど,高価な材料を的確に細やかに使用するで,全体として鮮やかな仕上がりになっているそうです。
良い作品のためには材料を吟味することが重要と実感しました。

■独自の技法
当時の絵画教室である狩野派から教えを受けたそうですが,制約の多い流派のままであればこのような独特の画風にはならなかった。若冲は狩野派の弟子ではなかったので,自由に工夫ができたそうです。
ユニークな技法としては以下のとおりです。

良質な絵の具を薄く塗る・・・鮮やかな色彩を生む
枡目描(ますめがき)・・・約1cm四方の点による表現技法
筋目描(すじめがき)・・・にじみを利用した重ね描きによる葉脈や鱗などの筋の表現
裏彩色(うらざいしき)・・・絹素地の裏からも彩色することにより,表側の色がやわらかく深くなる

後世に残る作品のためには,オリジナル技術は不可欠ということでしょう。

■たゆまぬ努力と徹底した根性
狩野さんによれば,若冲の画風は「旦那芸の極致」だそうです。当時隆盛の狩野派や琳派のプロの絵師と異なり,経済的・時間的・技法的に自由ですから,道楽で絵を描いてもよさそうなものですが,何故か徹底して技術を磨きあげています。
たとえば裏彩色などは,とても手間のかかる手法で,当時の絵師たちには到底真似のできない芸当だったようです。若冲が得意とする鶏の描写も,自宅の庭に鶏を飼い,徹底した写生によるものです。画家であれば当然のデッサンも,プロではないにもかかわらず若冲は数多く残しています。
絵画のセンスだけではない,地道な努力が独特の技術を開花させたと思われます。


これほどまでに絵画の世界に深く惹かれた若冲は,狩野さん曰く「純粋に,自分にとっておもしろい絵を描こうとした,世界美術史でも希な例」なのだそうです。決して無名ではなく,当時の紳士録にも円山応挙や与謝蕪村などと並んで登場する有名人(狩野さん曰く・・トップランナー)でした。しかし本人としては,名声ではなく理解者が欲しかったようで,ある寺で「本当の自分を理解してくれるのは200年後」と言ったそうです。若冲ブームに火をつけた狩野さんが,まさに200年後の理解者のひとりであったのかもしれません。


若冲を見ていると,時に歴史に埋もれながらもそのしっかりとした実力が,いつの時代でも共感者を獲得してきたように思えます。
カラムビジネスに例えるなら,世界的に有名なブランドの陰で,まだまだ知名度の低い弊社製品を理解していただけるかどうかは製品の実力にかかっている,という意味で若冲作品と似ているような気がしてなりません。
開発に携わる者として,自分の設計が30年後,いや200年後まで生き残るとしたら,たいへん名誉なことと思います。若冲のようにひとつの点や線に集中して作品を仕上げるのと同様に,充てん剤一粒,カラム一本に神経を注いで製造しています。

「念を入れる」。若冲にはピッタリの表現と思います。
カラム製造のスタッフには常々「カラムに念を入れてください」と指示しています。もし,カラムを使用されていて「何か違う」と感じていただく機会がありましたら・・・それは「念」のせいかもしれません。

(矢澤  到)