カラムのコラム (Columns for Columns)

 

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百年目

2003/12/30

 

 
2003年の今年ももうすぐ暮れようとしています。

年の瀬も押し詰まってからこのような話題というのも変ですが,クロマトグラフィーの創始者であるTswettの100年前の業績を記念して調べてみました。まさに「ここであったが百年目」というわけです。

Tswettがクロマトグラフィーを開発した1903年。この年に世界ではいったい何が起こっていたでしょうか。


■科学技術の百年

●アレニウスのノーベル化学賞受賞から100年
スウェーデンの化学者アレニウス(1859-1927)が提唱した,アレニウスの酸塩基(水素イオン供与体が酸,水酸化イオン供与体が塩基)などにより,彼は1903年にノーベル化学賞を受賞しました。アレニウスの酸塩基は,我々HPLCの分離や相互作用を考える上でも重要なものです。
ちなみに,我が分析業界のノーベル化学賞受賞者田中耕一さん(島津製作所)も,蛋白質を破壊しないで気化させる「急速加熱技術」のアイデアとして,化学反応速度に関するアレニウスの式を参考にされたそうです。百年を経て同じノーベル化学賞がつながっていることも興味深いことです。

●マリー・キュリーのノーベル物理学賞から100年
アレニウスの化学賞受賞と同じ1903年に,伝記で有名なキュリー夫人が女性初のノーベル賞として,夫とともに物理学賞を受賞しています。1898年のポロニウム(polonium),ラジウム(radium)の発見がその業績だそうです。そればかりかキュリー夫人は,1911年にもノーベル化学賞を受賞するという快挙を達成しています。加えて彼女の娘イレーヌもノーベル化学賞受賞者だそうで,キュリー家はノーベル賞受賞者だらけのようですね。

●パブロフの条件反射発見100年
おなじみ「パブロフの犬」。ロシアの生理学者パブロフ(1849-1936)が,1903年に条件反射を発見し,大脳生理学の基礎を築きました。業績はすぐに認められ,1904年にノーベル生理学医学賞を受賞しています。

●ライト兄弟の初飛行100年
1903年12月17日午前10時35分,米国はキティホークの砂丘でライト兄弟が「フライヤー」という飛行機を12秒間浮かせました。航空史の始まりです。
先日100年目の同時刻に,米国の最新技術を駆使した復元機でチャレンジしたところ,機体は浮かなかったそうです。100年前のライト兄弟の技術がいかに優れていたかを物語っていると思います。

●量産車メーカー・フォード社創業100年
1903年は航空機の始まりであるとともに,本格的な自動車の歴史の始まりでもありました。米国・フォード・モーター・カンパニーの設立年(A型フォード第一号)です。大量生産方式を確立して5年後の1908年に爆発的普及となった大衆車,T型フォードを世に送り出し,現在の車社会の礎を築きました。
ちなみに,オートバイの世界で有名な,ハーレーダビッドソン社のハーレー第一号も1903年に生まれたそうです。
1903年は交通史上でもとても重要な年のようですね。

国産初の量産カメラ発売100年
現在のコニカミノルタ社の前身である小西本店より,国産初の乾板使用ボックス・カメラ「チェリー手提暗箱」が1903年に発売されました。当時の価格は2円50銭だったそうです。

●我が国の計量標準100周年
現在の産総研の前身にあたる中央度量衡器検定所が1903 年(明治36年)に設立されました。
HPLCで定量するときに不可欠な電子天秤も,この計量標準があってこそです。Tswettのクロマトグラフィーを支える重要な重さの基準が,ここにあります。



■文化・芸術の百年

●米国ポピュラー歌手/ビング・クロスビー生誕100年
米国のポピュラー歌手,ビング・クロスビーは1903年に生まれたそうです。「ポピュラーボーカルの元祖」として,ペリー・コモ,フランク・シナトラ,カーペンターズなどに影響を与えたそうです。
クリスマスには彼の代表曲である「ホワイトクリスマス」を聞かれた方も多いのではないでしょうか。

●作曲家/ハチャトゥリアン生誕100年
アルメニアの作曲家である,アラム・ハチャトリアン(1903-1978)の生誕100年です。
バレエ音楽「ガイーヌ」の中の「剣の舞」は,小学校の音楽の時間に習う有名なオーケストラ曲ですね。同様の「レズギンカ」もそうですが,テンポが速く,スネアドラムにとっては難しい曲のひとつです。

指揮者・作曲家/ムラヴィンスキー生誕100年
レニングラード・フィルの常任指揮者だったムラヴィンスキーが1903年に生まれています。
4回の来日公演により,日本でもなじみの深い指揮者の一人です。筆者は学生時代,彼の録音によるショスタコービッチの交響曲を愛聴していました。
彼はレニングラード音楽院学生のとき作曲家を目指していたそうで,いくつかの作品が残されています。

●作曲家/諸井三郎生誕100年
我が国の代表的現代作曲家の一人,諸井三郎(1903-1977)は,東大美学科を卒業した異色の作曲家です。交響曲や協奏曲など現代の音楽を多数残すとともに,音楽評論家としても非常に有名な人です。作曲家である団伊玖磨や柴田南雄の先生でもあったそうです。さらには九州芸術工科大学の創設者の一人でもあるそうです。

●童謡詩人/金子みすゞ生誕100年
山口県生まれの詩人・金子みすゞも生誕100年だそうです。筆者はこの人を知りませんでしたが,西条八十に「若き童謡詩人の巨星」と絶賛されたそうです。26才の若さで亡くなった後,1982年に全512編の詩集が発見されてから,多くの童謡ファンに「幻の童謡詩人」と呼ばれているそうです。代表作「大漁」の冒頭部分を描いた切手も発行されています。

作詞家・作詩家/サトウハチロー生誕100年
童謡作詩家・サトウハチローが1903年に岩手県生まれています。詩の世界では北原白秋とライバル関係にあったそうです。金子みすゞ同様に西条八十に見出され,多くの有名な童謡を残しました。「うれしいひな祭り」,「ちいさい秋みつけた」,「めんこい仔馬」,「百舌が枯木で」,「リンゴの歌」など,多くの名曲を残しました。

●版画家/
棟方志功生誕100年
青森出身の棟方志功は,1903年(明治36年)に生まれています。幼少のころゴッホの作品に衝撃を受けて,油絵を独学で勉強したそうです。その後同郷の画家の影響で版画に転向し,ビエンナーレなど数多くの国際賞を受賞しました。1970年に文化勲章を受章しています。

●画家/三岸好太郎生誕100年
三岸好太郎は1903年に札幌に生まれた,前衛的な抽象画家です。代表作に「オーケストラ」があります。彼の画業は10年あまりだったそうですが,札幌には彼を記念した「北海道立三岸好太郎美術館」があります。私事ですが,筆者が昔札幌に住んでいたときに好んで足を運んだ記憶があります。当時は北海道立美術館という名称でした。

●俳優/エノケン生誕100年
通称「エノケン」こと榎本健一も今年(2003年)が生誕100年にあたります。喜劇映画を得意とし,「日本の喜劇王」とも呼ばれているそうです。代表作には「東京キッド」,「孫悟空」,「エノケンの猿飛佐助」などがあります。筆者もどこかで見たことがあるような気はします。

映画監督/小津安二郎生誕100年
1903年12月に小津安二郎監督が生まれています。日本映画界の第一人者として,小津作品は世界中で上映されているそうです。
「晩春」,「麦秋」,「東京物語」といった名作があり, 監督作品数は全部で54本ということです。

●作家/小林多喜二生誕100年
秋田県生まれのプロレタリア文学作家,小林多喜二の生誕100年です。
1933年,戦争に向いつつある我が国の悲劇の一場面として,特高警察による検挙,拷間の末に非業の死を遂げました。

●作家/山本周五郎生誕100年
小説家・山本周五郎も生誕100年となるそうです。
筆者の記憶では,何十年か前にテレビ放映された大河ドラマ「樅の木は残った」の作者です。

●作家/林芙美子生誕100年
 「放浪記」などの小説で知られる女流小説家です。東京オリンピックの年,1964年の連続テレビ小説「うず潮」の原作者でもあります。

●アイヌ文学者/知里幸恵生誕100年
アイヌ文学者の知里幸恵も生誕100年だそうです。ユーカラやカムイユーカラなど,文字を持たないアイヌ民族の口承文学を,「アイヌ神謡集」として文字表記して著した初めての人だそうです。

●登山家・文学者/深田久弥生誕100年
山を愛した文学者・深田久弥も生誕100年です。山岳愛好家なら誰でも知っている「日本百名山(1964年,読売文学賞)」を著した人です。この著作に影響を受けて「百名山」を踏破しようとする方も多いと思います。弊社にもそのような人がいます。
今年7月には記念切手も発行されたようです。



■スポーツの百年

●自転車/ツール・ド・フランス100年
1903年,自転車競技であるツール・ド・フランスが初めて開催されました。
パリの2大スポーツ紙の顧客獲得競争の結果として生まれたそうです。1日500kmも走る区間があり,当初は耐久レースとして始まったそうですが,その後自転車技術の発展や舗装道路の普及などの追い風もあり,次第にスピードレースに発展していきました。

●野球/大リーグ初のワールド・シリーズから100年
今年はヤンキース・松井選手がワールドシリーズで日本人初のホームランを放って話題になりましたが,このワールドシリーズは1903年に始まったそうです。
ナショナルリーグに遅れをとってスタートしたアメリカンリーグは,「ナ・リーグを脱落した球団の受け皿」 と揶揄されて悔しかったのか,年間チャンピオンを決めようということになり,ワールドシリーズができたようです。皮肉なことにシリーズ結果は,「受け皿」ア・リーグのボストン・ピルグリムズ(現レッドソックス)がナ・リーグのピッツバーグ・パイレーツを5勝3敗で破り,ワールドチャンピオンに輝いたそうです。

●野球/早慶戦100年
日本においては, 第1回の早慶戦が1903年11月21日,東京・三田の慶大グラウンドでおこなわれ,慶大が11-9で勝ったそうです。我が国の野球の歴史も結構古いんですね。

●ゴルフ/日本のゴルフ誕生100年
日本初のゴルフ場が神戸六甲山に開場して今年100年になるそうです。
英国人貿易商・アーサー・ヘスキス・ グルーム(Arthur Hasketh Groom,1846-1918)が,六甲山頂に日本初の「神戸ゴルフクラブ」を創立したのが,我が国のゴルフの始まりだそうです。



■その他の百年

●日比谷公園開園100年
当時は花見といえば寺社境内と決まっていた時代でしたが,本格的な西洋式公園が必要ということで,1903年6月1日に日比谷公園が開園したそうです。この100年の間,日比谷公園は全国の都市公園モデルとしての役割を果たしてきたそうです。そういえば公園内にある日比谷野外音楽堂(通称・野音)は,日本のフォークミュージックの原点のひとつに挙げられる場所でもあります。


●警視庁騎馬隊創設100年
それまでは警視庁と内務省間の文書往復や伝令勤務であった騎馬隊でしたが,欧州の警察騎馬隊を参考に警視庁騎馬隊として1903年に創設されたそうです。各時代における皇室行事や東京オリンピックの警備などで活躍してきたということです。




こうして調べてみると,100年前には世界でいろいろなことがありました。世界の科学・文化・スポーツに影響を与えた著名人や出来事が走馬燈のように駆けめぐります。調べながら筆者は「へぇーボタン」を何度も叩きました。

人間国宝の落語家・桂米朝師匠の得意とする落語のひとつに,「百年目」という大ネタがあります。 大店の旦那と番頭の暖かい人間関係を描写したものです。遊び事を知らない堅物とされてきた番頭さんが花見で豪遊するうち旦那にばったりと出くわし,気まずい思いから,百年も会っていなかったような挨拶をする,という筋書きです。

落語のネタになるくらい,100年という年月は長いものですが,今の我々に身近な出来事も多く,時代を超えて現在に通じているタイムトンネルがあるような気もします。
百年目のクロマトグラフィーも今の我々の身近なところで深くつながっています。 毎日コツコツと歴史を積み重ね,少しづつ進化しながら,次の百年目を迎えることでしょう。

皆様,101年目の良いお年をお迎えください。

(矢澤  到)